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6月は君の雨 -前編-

初夏のアラスカは、世界でもっとも過ごしやすい季節だと思う。
年中寒いと思われがちな極北のアラスカだが、5月から9月の夏季に掛けては暑すぎず寒すぎず非常に過ごしやすい気候となる。内陸部など日中に30度を越える所もあるくらいで、本当にここが極寒の北国なのかと目を疑うような光景が広大な台地に広がっている。
空はカラッと高く晴れ上がり、涼しい風は優しく肌を撫でて行く。夜でも薄着一枚で過ごせるほどの、まさにリゾート並みの快適さを楽しめるのがアラスカの初夏のシーズンだ。

なので、こうした連日の雨というのはとても珍しい現象だった。未沙は手にしていた本を閉じ、小さくため息をついて窓の外を眺めやる。シティの街並みはここ数日降り続く冷たい雨に烟り、窓ガラスにはひっきりなしに水滴が付いては流れ、付いては流れを繰り返していた。暗くて冷たいこの光景を、未沙は翠緑色をした切れ長の瞳でじっと眺めている。

繁華街にある落ち着いた雰囲気のカフェ、と言えば聞こえは良いが、実際は時代に取り残されたかのような古びた喫茶店だ。閑散とした薄暗い店内で、未沙は静かに雨音を聞いている。未沙の他に客はなく、年老いた店主がサイフォン式のコーヒーを淹れる僅かな物音と、建物の古臭い木の香りだけが彼女の周りを包んでいた。

まるでアンティークのような古木のテーブルに、重くて大きなローズウッドの椅子。薄暗い店内で唯一外から明かりが差し込む大窓の下で、未沙はすっかり冷めてしまった紅茶のカップに口を付ける。
湯気の立たない紅茶には香りがないと言うが、老いた店主の淹れてくれたローズヒップ・ティーは冷めてしまっても香り高い。色味も濃い目のブラッドレッドで、口に含むと鼻の奥まで酸味のある上品な香りが抜けて行った。

店内のわずかな照明を照り返す、艶やかなライトブラウンの髪。雨雲の隙間を縫って地上に降り注ぐ頼りない太陽光を受け、まるで今日の空のごとく雨に濡れたような光沢を湛えている。
物憂げな指先は閉じられた小さな茶色い本の上にそっと置かれ、翠緑の瞳は長いまつ毛と共にゆっくりと閉じられた。

何も起こらない。何も始まらない。ここは忙しなく人々が行き交うシティにおいて、唯一時間に取り残された「時のない喫茶店」なのだ。壁一つ隔てて、外と中では時間の流れそのものが違っている。
未沙はそんな子供じみた空想を頭に思い浮かべて静かに微笑した。たまに、本当にたまにだけ訪れるこの古びたカフェでの隔世された時間が、最近の未沙の密かな楽しみとなっている。
職場での喧騒を忘れ、何者にも知られないこの空間でゆったりとした意味のない時間を過ごす。たまに持ってきた本を開き、たまに淹れてもらったお茶を味わい、たまに目を閉じて無作為に空想を楽しむ。
こんな贅沢なひと時は久しぶりだ。マクロスが地上に降り立って約2年、毎日が激動の渦中にあり、未沙は寝食を忘れて任務に打ち込む日々を過ごしていた。
そうすると、どうしても無性にこの名も知らないカフェを訪れたくなる。入り口に看板もなく、自分以外に客がいたのを見たことがない。だが、この「置いてけぼり」にされた独特な感覚が、まるで乾いた砂に水滴が沁み込むかのように未沙の心には馴染んでいく。

ただ、いるだけ。
それだけでいい。それが自然に許されているこの場の空気が、今の未沙にはとても心地良かった。

瞳を開き、厚手のクロスが敷かれたテーブルを見下ろす。ティーカップの横にちょこんと置かれた小さな本が目に映った。茶色い革表紙の本の表紙にはロシア語で「Вишнёвый сад(桜の園)と書かれている。

「チェーホフが好きかね」

お茶のお代わりを持ってきた店主が何気なく尋ねる。白い髭、白い眉。白髪頭にクラシックなニット帽を被った老人は、皺くちゃで大きな鷲鼻を揺らして未沙に問い掛けた。未沙は珍しい物でも見るような目で老人を見やる。

「いえ、特に好きという訳では…」

老いた店主にまともに話し掛けられたのはこれが初めてだ。戸惑いながらも未沙は視線をテーブルに落とし、茶色い革表紙に手を乗せた。

「貰い物なんです、この本。元の持ち主が、詩が好きな人で…」

100年前にロシアで書かれた戯曲の内容を、未沙はすでに出だしから巻末まで、丸々諳んじる事が出来るくらい何度も何度も深く読み返していた。
それこそ、目を閉じれば本の中の農園が目の前に現われ出でて、土煙りの香りさえするかのようだ。


チェーホフの物語に出てくる人々は、みんな普通の人ばかりさ
叙事詩のようなヒーローやヒロインもいない
彼らは、目の前の不幸から目を背けてその日を生きるのに必死な人々ばかり
でも、そんな人生の辛さ、苦しさに悶える人たちの愛くるしさが、この本の中には溢れているんだ


本をくれた青年の言葉を思い出し、未沙は微笑む。女の私から見ても、とても逞しいとか男らしいという言葉とは無縁の人だった。
ただ、鮮烈な感性と豊かな知性を感じさせてくれる人だった。少女時代の未沙は、そんな大人びた彼の事が好きだった。

「人が人らしくある様を、時に滑稽に、時に残酷に描いておる。良い本じゃよ」

老人はそう言うと、お代わりのお茶を未沙の前へ差し出した。未沙は微笑みながらお礼を言い、新しいティーカップをその細い手に取る。
湯気の香りからすると、どうやら今度はカモミールティーらしい。カップとソーサーがカチャリと音を立て、雨の日の薄暗いカフェに小気味好い雰囲気を演出する。

「その本をくれたのは、恋人かね?」

未沙の口元へ運ばれたティーカップがピタリと止まる。その反応を見ただけで、老人はすぐに「いや、不躾じゃった。忘れてくれ」と言い直した。
しかし未沙は微笑んで老人の問いに答える。

「いえ、恋人ではありませんでした。…そう、そんな関係を意識する時間も、私達には無かった」

未沙はそう言うと、緩やかにティーカップに口を付けた。暖かな琥珀色の液体が口腔内に滑り込めば、ほんのりとニッキのような甘みが舌に広がる。

あ、ハチミツを入れてくれたのね

飽きの来ないように一手間加えてくれたのだろう。未沙は喉の粘膜で香草の味わいを確認しながら、一口分のハーブティーを穏やかに飲み下す。

「戦争で、大勢の人が死んだ。みんなどこかしらに悲しみを抱えて生きとる。今の世の中は、その本の中身よりもよほど人々が不幸せになっとる気がするのう」

老人はそう言って、空いたティーカップを持ち上げてトレイに戻した。
この老店主にも家族や友人が居たのだろうか?もしかしたらあの戦争でみんな死に絶える中、一人生き残ってしまったのかも知れない。未沙は勝手な妄想でもって老人に同情の念を抱いた。

「あんたはどうだね。不幸か、それとも幸せかい?」

立ち去り際に老人が発したある意味失礼な問いにも、未沙は何故か不快になれなかった。
未沙はゆっくりとカップをソーサーに戻すと、少しだけ思案顔になって窓の外へ視線を移す。

「幸か、不幸か…」

そんな事、考えた事もなかった。未沙はただ毎日、目の前の出来事に全力でぶつかって来ただけだ。
多少不器用なところもあって、決して順風満帆だったとは言えないけれど。それでも、大きな戦争も乗り越え、今日まで生き残ってこれた。今は多くの仲間と、守るべき人々と、新たな挑戦に向けた目標とがある。

「生き残りか。それとも取り残されただけか…」




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ジャンル : アニメ・コミック

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ひととき……なのかな

最後の言葉。淋しい響きに、過去を振り返えつつも前をみる者の秘めたる決意の欠片のように感じます。

未沙(びえりさん)語録。心の中にメモメモ(-"-)

書籍にして読みたい・・・

すこーしだけ湿気の香りを含んだ、単行本で。
未沙さんと同じ紅茶を楽しみながら、読み進めたいなぁ。

・・・書籍化しませんか?

No title

生者が死者を羨む時代
そんな退廃的な描写も
未沙と紅茶と文学
それだけでこんなに印象が変わるのですね。

本文の内容とは

関係ないですが、
雨の曲を思い出しました。
ちょっとやらかした歌手のA氏の曲です。
「はじまりはいつも雨」
名曲なんだけどなぁ。

管理人のみ閲覧できます

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Re: ひととき……なのかな

ウホホ、実はただ単に苦労を押し付けられた恨み節なのかも知れませんよ( ̄▽ ̄)

あきません、そんなメモ帳を心に持っていると酷いお話ばっかり書く「仏のkomesa」さんになってしまいます!


> 最後の言葉。淋しい響きに、過去を振り返えつつも前をみる者の秘めたる決意の欠片のように感じます。
>
> 未沙(びえりさん)語録。心の中にメモメモ(-"-)

Re: 書籍にして読みたい・・・

書籍にしたら無茶苦茶分厚くなっちゃいますよ〜σ^_^;
それこそ武器になりますw昔FFで辞書で殴るってあったな…

お茶飲みながら本読むのは最高の時間ですよね(*´ω`*)
このお話は雨の6月中に書き終えたかったです〜


> すこーしだけ湿気の香りを含んだ、単行本で。
> 未沙さんと同じ紅茶を楽しみながら、読み進めたいなぁ。
>
> ・・・書籍化しませんか?

Re: No title

未沙さんてしっとりした描写が似合いますよね〜^ - ^

雨の喫茶店で本を読む女…ううむ、意識高い系にも見えるww


> 生者が死者を羨む時代
> そんな退廃的な描写も
> 未沙と紅茶と文学
> それだけでこんなに印象が変わるのですね。

Re: 本文の内容とは

A氏w
その曲はAメロが凄い好きです^ - ^

海外だったら才能と人格は別物扱いですが、日本では芸能人に品格を求めますよね〜。良い部分もあるし、悪い部分でもありますね。


> 関係ないですが、
> 雨の曲を思い出しました。
> ちょっとやらかした歌手のA氏の曲です。
> 「はじまりはいつも雨」
> 名曲なんだけどなぁ。

Re: 久々ですね。

どもどもです〜^ - ^

話が頭に浮かぶと書かないと気が済まなくなっちゃうんです。なので以前は無茶苦茶書きまくってたんですが、あの頃はまだ時間に余裕があったのでw
今はもうちょっと厳しいですね>_<

暑いのは割と平気なんですけれど、よく車に乗るので車内の熱気だけは嫌いですwかといってガンガンにエアコンかけると頭痛くなるんですよね…つ、辛いw

海を見に行きたいですわ〜

Re: 紅茶に蜂蜜は美味ですよね

せんせ〜!
私その昔、初めて行った喫茶店でレモンティーにミルク入れました(*´ω`*)
脂肪が固まって不味いのなんのってw何とも恥ずかしい喫茶店デビューでした(*´∀`*)ゞ

幸か不幸か!
人生で常に幸せであるなんて事はないですもんね。潮の目のようにそれは移ろい、行きている限りそれは繰り返す。
願わくば幸せ多めでいたいものです(*´∀`*)
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