2人は通路を進んで行く。

2人は通路を進んで行く。
チェーホフの車椅子は電動式で、別に誰かに押してもらわなくても普通に本人が手元で操縦すれば動けるのだが、ボーリゾンは敢えて手押しで長い通路を進んでいた。

電動車椅子はとても重い。結局、人がハンドルを押すとセンサーが働いて電動アシストが稼働する仕組みになっている。
静かなモーター音に耳を傾けながら、ボーリゾンは眼下のチェーホフの頭に語りかけた。

「あなたの計画、順調みたいね」

柔らかな栗色の髪の毛を揺らせて、チェーホフは頷く。

「うん、まさに君のお陰さ」

機嫌良さそうに言葉を続けた。

「リン・ミンメイが移民参加を表明してから、地球人の移民希望者が後を絶たないそうだよ。
それまではほとんどの人が関心を示さずに、危うくゼントラーディ人ばかりで移民艦が出発するところだったからね」

ボーリゾンは鼻で息を吐く。

「そうなれば、話題性も低かったわね。ゼントラーディ人ばかりの船じゃあ、誰も『民間人が犠牲になった』って騒がないもの」

「まさにそこだよ。移民計画の出発は華々しく派手に行ってもらわないと困るんだ。
移民は『ゼントラーディ人を宇宙に厄介払いする口実だ』なんてイメージが付けられちゃったらおおごとさ」

チェーホフは楽しそうに笑う。それを見下ろしているボーリゾンは笑っていなかった。

「全部、その後に貶めるための下準備ね」

「ああ、高く上げたものほど下に落とされた時の高低差が大きくなるからね」

チェーホフの声は愉快そうだ。

「その振り幅が大きければ大きい程、現行の内閣の責任を追及出来る。総理大臣や、グローバル総司令の責任をね。
だから移民計画は派手に盛り上がらないといけないんだ。その為にもこうしたイベントは大歓迎だよ」

「…ミンメイはどうなるの?」

気持ち固い声のボーリゾン。しかしチェーホフは変わらず朗らかに答えた。

「その話はもう済んだだろう?
彼女は移民計画のアイコンになったんだ。当然、移民が失敗すれば世間から責任を追及され、人々を扇動した罪を償う事になる。良くて罪人扱い、悪ければ…まぁ、その話はもういいじゃないか」

「あの子には何の罪も無いわ」

「そんなもの、世間には関係無いさ。生贄はどの時代にも必要なんだよ。人類を救ったリン・ミンメイが人柱になるのなら、次に来る政権はきっと神がかっていると思うよ」

チェーホフが車椅子から首だけ後ろに振り返る。かつての同僚と目が合った。

「君のミンメイ監視の任務も、もうじき終了だ。これ以上変な情が移る前に早く戻っておいで。ちゃんと椅子を一つ空けてあるよ」

「…あの子はただの普通の女の子なのよ」

「違うよ、世界を救った歌姫だ。本質なんかどうだっていいんだよ」

ボーリゾンは無表情に車椅子の青年を見下ろす。2人は通路の途中を曲がり、使われていないモニタールームに入っていった。

「見せたいものって何だい?なんだかワクワクするね」

「…いま見せるわ」

ボーリゾンはそう言うと、手に持っていたリモコンを操作した。すぐに正面のモニターが点いてボヤッと何かが浮かび上がる。

どこか別の部屋が映し出されている。
その薄暗い部屋の真ん中に、男が一人椅子に座っていた。ヒゲモジャの、チェーホフがよく知っている顔の男だ。

アミタブ・カーンは白目をむき、舌を出して泡を吹いていた。あらゆる体液が穴という穴から漏れ、全身は脱力し、かろうじて椅子の背もたれに寄りかかって…いや立て掛けてある。完全に絶命していた。

その喉には、何かで強烈に締め上げた紫色の跡が太くくっきりと残っている。軟骨くらいは折れているかも知れない。

「…ホラー映画にはまだ早くないかい?」
「あら、もう8月よ」
「時間帯の問題さ。昼間からカウチポテトなんて趣味じゃないね」
「どんなのがご趣味?例えばこんなのはどうかしら?」

ボーリゾンは手元のリモコンでモニターを切り替える。「Sound Only」という表示が出て、震える男の声がモニタールームに響いた。

『や、やめてくれ、た、助けて…』
『命が惜しければ話しなさい。それ以外は死ぬわ。まずは脇の下からこの針金を差し込んで…』
『言う、言うよ!…そうだ、その写真の男に言われてやったんだ。部下にクスリを流させて、リン・ミンメイに渡るように仕組んだ。そうしなきゃ組織ごと潰される…』
『この男は何て名乗ってた?』
『イ、イワン・コーネフだ。…やっぱり偽名なのか?』
『知らないなら教えてあげるわ。この男の名はピサテル(文学家)。ロシア秘密警察の人間よ』
『ピサ…?…ろ、ロシアって、いつの時代の話だよ…』
『知らなくていいのよ。あなたにはもう関係のない事だから。永遠に』
『ま、待って、話した、ちゃんと話しただろ、よせ、いやだやめてうわああああ』

ボーリゾンがリモコンの停止ボタンを押すと、モニタールームは静寂の中に包まれた。

「…君はパイロットになんかなるべきじゃ無かったよ。ずっと秘密警察にいれば良かったのに」

チェーホフは静かに言った。ボーリゾンは冷ややかな声で返事をする。

「あの日の事、覚えてる?」

それがどの日の事か、わざわざ言わなくともチェーホフには分かった。二人の間には、言葉では言い表せない凄惨な過去が横たわっていたのだ。
ボーリゾンの耳元で、赤いロシアの十字架が揺れた。

「三人の誓い、ユーリは叶えられなかったわね。でも、私とあなたは守ってる。そう、誓いを守ってるのよ」

ボーリゾンは手元のリモコンで部屋の明かりを消した。窓のない室内は、非常灯だけの薄闇に包まれる。ボーリゾンはずっと目を閉じていた。この部屋に入って、モニターのスイッチを入れた時から。暗闇に馴れるように。

チェーホフが声を出す。あくまでも冷静に、朗らかに。

「君の誓いは何だったっけ?もう忘れてしまったよ」

ボーリゾンは素早く背広の内側に左手を入れた。音もなくナイフが飛び出す。
狩猟用のスキナーナイフ。使用用途は主に仕留めた獲物の皮剥ぎだ。それはとても鋭く、生き物の命そのものを削り取る。

アルファベットのSの文字を描いて、ナイフはチェーホフの首に吸い込まれた…はずだった。
しかし、半瞬の差で栗色の頭はそこから逃げ果せる。
チェーホフは車椅子から前転して飛び降り、そのままの勢いでモニタールームの奥に走った。モニタールームは広かった。その中の座席の一つに飛び込み身を隠す。

「やっぱり歩けたのね」

ボーリゾンは闇の中で笑った。それはミンメイや輝には見せたことのない種類の笑みだった。
暗がりの部屋の中でも、闇に目の慣れたボーリゾンがまだ有利だ。声を出しながら相手の反応を待つ。
チェーホフは意外にも応えて来た。

「ゼントラーディのクローン技術は大したものさ。医療に応用すれば革新的な発展が期待出来るよ」

ゼントラーディ人の暴漢に襲われて、脊髄を損傷し下半身不随になっていたチェーホフは、人体実験的にゼントラーディの技術を使った改善手術を受けていた。
それが彼の体にどんな影響を及ぼしたのかは分からない。もしかして、彼の思考や性格にまで余波が及んでいたとしたら…

ボーリゾンは声の位置を確認しながら音を立てず近寄っていく。

「これであなたもゼントラーディ人の一員って訳ね。差別を乗り越えて違う種族同士の絆を結ぶ。立派だわ」

「そう思うなら協力しておくれよ。裏切りは無しだと言っておいたのに」

「先に裏切ったのはあなただわ。あの子には手出ししないと約束したでしょう?」

2人の声は、まるで日常会話でもしているかの様にノンビリとしていた。しかしボーリゾンは猫の様に身構え、足音を消して進んで行く。

「僕は何もしていないよ」

「此の期に及んでまで嘘を突き通そうとするのは偉いわよ。浮気した時の言い訳もそうしてあげてね」

ボーリゾンは声の場所にたどり着く。しかし誰もいない。椅子の下には小さなワイヤレススピーカーが落ちていた。それをエナメルの靴で踏み潰す。

「君はいつもそういう物の言い方をする。一段上から僕らを見下ろしてた。変に大人ぶってさ、ユーリとよく愚痴ってたよ」

「知ってたわ」

ボーリゾンは笑った。闇の中、左右に目を走らせ声を追う。ボーリゾンがこのモニタールームを選んだのは、窓がないから暗闇に出来る事と、床が絨毯敷きだったからだ。毛足の短い安物の絨毯だったが、充分足音を消してくれる。

「あなたはいつも冷静に見えて、その実いつも誰かに縋ろうとさまよってた。まるで迷子の子犬の様だわ」

「陳腐な表現だね。そういうのはピサテル(文学家)に任せておきなよ」

「大学の講義じゃないのよ、好きにさせて」

またワイヤレススピーカーだった。コインほどのその小さな物体を、ボーリゾンは踏み潰す。小さなプラスチックの破壊音と共にチェーホフの声が消えた。
と同時に、入り口のドアが開け放たれた。人影が一つ、外の明かりに飛び出して行く。

ボーリゾンは舌打ちをすると、ナイフを背広の内側にしまって後を追った。


「逃げられないわよニカ。私がクワッサリー(ヒクイドリ)と呼ばれていた理由を忘れちゃったみたいね」

世界一凶暴な鳥の名前をコードネームに持っていた男は、白い背広を翻して疾走して行った。





関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 懐かしいアニメ作品
ジャンル : アニメ・コミック

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: ヤマ場・・

まー1人はあっさり死んじゃってますものね…

現実世界でも、薬に染まるのは人それぞれ理由が違うと思いますが、本とか読んでるとキッカケは興味本位が多いみたいですね。
薬自体がまさに「誘惑」って事なんでしょうね。
あとはもう半分運みたいなもので。そういう場面に遭遇しちゃうかどうか。
で、ミンメイは遭遇しちゃったと。そこだけは他力であったかも知れないですね〜。

未沙は不安がある分余計に強がって、それがまた自らを奮い立たせてるという面があるみたいです。みんな完璧じゃなく、ちょっとずつ揺れながら生きているんですね。

拍手コメントありがとうございます!

「野生の王国」!私も見ていた覚えが!
イタチ科はワロタwたしかにそんな感じですねw

そうなると、このSSはまさに野生の王国ですな。
ネコのボリ、イタチのストーカー、ブルドッグの会長、タヌキのジノビエフ准将、あと何だろうw

ナマケモノのベケット中佐…


管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ニカさんの愛は歩けるようになる迄凄いのね。未沙さんを崇拝するニカさんを何故だか応援したくなります。(⌒-⌒; )

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: うん

そうして大人になってゆくのですね…


みんな青春の想い出だ…

Re: タイトルなし

自分の体を人体実験に差し出す位ですからね〜。

ニカ応援派は貴重だと思うのでよろしくお願いしますwww


> ニカさんの愛は歩けるようになる迄凄いのね。未沙さんを崇拝するニカさんを何故だか応援したくなります。(⌒-⌒; )

Re: (´Д`)ハァ…

加速装置w付けても行けそうww

知性的な感じが親戚の従兄さん達みたいで、人として好みだって言う話ですね。
多分「隣り合わせの〜」で書いたヤツです。よく覚えてらっしゃいましたね!もうかなり昔ですよねww
カテゴリ
プロフィール

びえり 

Author:びえり 
iPhoneで書いているので「輝」と打てません

FC2の機能がよく分からないので、何か変だったら教えてください(´・ω・`)

最新記事
最新コメント
くせっ毛の飛行機乗り
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR